「環世界」~異なる視点の理解~
Spark Lab(スパークラボ)の稲場泰子です。
2024年最後の週となりました。
皆さんにとって今年一番印象に残った本・映画・アニメ・ドラマ等々は何でしたか?
今年は私にとっては面白い作品が多かった年でした。
今回は珍しくアニメではなく、今年読んだ本の中で印象に残った真面目な哲学書、
『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎)について書きたいと思います。
「環世界」
『暇と退屈の倫理学』は「暇と退屈」がなぜ起るのか、それをどう扱うのかについて、
過去の哲学者の叡智を読み解きながら反証・考察する本です。
哲学に詳しくない一般人向けに平易な表現や論理展開で書かれており、
夢中になって一気に読んでしまいました。
結局「暇と退屈」とは何なのか、それに対してどう対処するのか、
ということについてはこの本を読んで頂きたく思います。
今日書きたいのは、この本の中で取り上げられていた「環世界」についてです。
「環世界」とは、生物学者のユクスキュルが提唱した概念で、
すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、
それを主体として行動しているという考えです。
ユクスキュルによれば、普遍的な時間や空間(Umgebung、「環境」)も、
動物主体にとってはそれぞれ独自の時間・空間として知覚されていて、
動物の行動は各動物で異なる知覚と作用の結果であり、
それぞれに動物に特有の意味をもってなされるとしています。
例えば、マダニには視覚・聴覚が存在しませんが、嗅覚、触覚、温度感覚がすぐれています。
マダニとっての世界は見えるものでも聞こえるものでもなく、温度と匂いと触った感じでできています。(Wikipediaより引用、編集)
つまり、私達人間が「こういうものだ」と視覚や聴覚で認識している世界を、
マダニは全く違う「センサー」で認識し、理解しているということです。
マダニがこの世界をどういうものと認識しているか、私達人間が想像するのはとても難しいですよね。
しかし、「環世界」は別の生物だから違うというわけではないのです。
私達人間同士でもそれぞれ微妙に違う「環世界」を生きているのです。
本の中では、例えば地質学者と一般人が、道ばたの石を見た時に
それぞれ全く違う解釈や粒度でその石を見ることから「環世界」が異なるという例を挙げています。
「人間の強み」
動物も人間もそれぞれの「環世界」を生きているのであれば、動物と人間の違いはあるのでしょうか?
本の中では、人間は「環世界を相当な自由度を持って移動できる」点で動物と違うと述べています。(一部の動物も「環世界」を移動出来ますが、人間のほうが自由度が高い。)
「環世界」を移動するとはどういうことでしょうか?
例えば、
地面にしゃがみ込んで絵を描き始めることで、地面をキャンバスとする別の「環世界」に入り込むことが出来る。
地質学を勉強することで石の見方や解釈を変えることが出来る。
温泉に入って景色を眺めることで時間の体感をゆっくりしたものに変えることが出来る。
このように、物事の体験、見方、解釈を変えることが「環世界」を移動することに繋がります。
また、その裏返しとして、1つの「環世界」にとどまり続けることを選ぶことも出来るのが人間の強みです。
人にはそれぞれ「環世界」がある。
このことを前提として常に念頭に置くことが、
人間関係やコミュニケーションを円滑にする鍵だと感じます。
メールマガジンで度々取り上げているテーマですが、
人間関係やコミュニケーションが難しくなる原因の一つが、
「他人も自分と同じように考え、感じ、話すはず」という前提で人と接してしまうことです。
例えば外向性の高い人は
「物事はハッキリ、包み隠さず伝えることが誠意だ」
という前提を持っている事が多いですが、
「相手をおもんばかって、なるべく物事をハッキリ伝えないことが誠意だ」
という前提を持つ内向性の高い人から
「あの人は自分の言いたいことをズケズケ言って不誠実だ」
と批判されてしまう事があります。
これは、ある意味で違う「環世界」を生きているために起きてしまう誤解だと言えます。
「環世界」が違うことを認識せずに違和感や摩擦ばかりに目を向けてしまうと、
双方が被害者妄想を抱き、更にコミュニケーションが難しくなってしまいます。
人はそれぞれ外界を自分の得意なセンサーで読み取り、解釈しています。
「はっきり隠さず伝える」
「なるべく遠回しに伝える」
というコミュニケーションを心地よいと感じるか悪いと感じるかは解釈が分かれるのです。
人間の能力が「環世界を相当な自由度を持って移動できる」ことだとすると、
それを磨くことでコミュニケーションの可能性が広がり、自分の可能性も広がるのだと思います。
コミュニケーションが上手く行かない相手は:
どのようなことを敏感に感じるのだろうか?
逆にどのようなことはあまり気にしないのだろうか?
自分が発する言葉を相手のセンサーはどのように捉え、解釈するのだろうか?
相手が発する言葉を自分のセンサーはどのように捉え、解釈しているのだろうか?
自分の解釈は相手の意図と同じだろうか?
一歩下がってこのように考えてみることで、「環世界」を少し移動出来る気がします。
今年も上手く行ったコミュニケーション、上手く行かなかったコミュニケーションが色々とありました。
来年はもっと軽やかに「環世界」を移動し、自分の幅を広げたいと願っています。
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