「すべてが空虚」な時代を救うもの
こんにちは、Spark Lab(スパークラボ)の稲場泰子です。
早いもので、もう師走も半ばですね。
年末年始は、多くの方にとってご家族や懐かしい友人と時間を共にする時期だと思います。
今日は、そんな時期を前に「身近な関係性」について少し考えてみたいと思います。
「すべてが空虚」
先日、大変遅ればせながら、2022年に第95回アカデミー賞で作品賞・主演女優賞・助演男優賞・助演女優賞・監督賞・脚本賞・編集賞の7部門を受賞した、アメリカ映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(原題: Everything Everywhere All at Once)を観ました。(以下ネタバレあり)
アメリカでコインランドリーを経営する中国系移民の中年女性「エヴリン」は、頼りない夫「ウェイモンド」、春節(旧正月)のためにアメリカにやって来た厳格な父親「ゴンゴン」、大学を中退して家を飛び出し、女性の恋人と一緒に戻ってきた娘「ジョイ」との関係に悩んでいます。
さらに悪いことに、破産寸前のコインランドリーの税務監査のため国税局に呼び出されており、山のような領収書を整理して監査を乗り切らなければなりません。(私も自営業なので、この状況は見ているだけで胃が痛くなります…)
ところが、国税局のエレベーターの中で突然「ウェイモンド」がきりりとした別人のような顔つきになり、自分は「別の並行宇宙」である「アルファバース」から来た「アルファ・ウェイモンド」であり、すべての並行宇宙(マルチバース)を破壊しようとしている「ジョブ・トゥパキ」から世界を救うため、この宇宙の「エヴリン」を探してきたのだと告げます。
ここまで読んで、すでに「????」となっている方も多いかもしれません…。最近のアメリカ映画やSFでは「マルチバースもの」が流行しており、その設定では、今いる宇宙のほかに無数の分岐宇宙(マルチバース)が存在し、それぞれに少しずつ違う「別バージョンの自分」がいることになっています。
この基本的な世界観を知っていても、映画自体はかなりハチャメチャで情報量も多く、正直かなり混乱しますので、細部の説明は省き、大事なポイントだけに絞って書きたいと思います。
「エヴリン」は「アルファ・ウェイモンド」の助けを借りて、あらゆる並行宇宙の自分にアクセスし、それぞれのスキルを獲得できるようになり、「ジョブ・トゥパキ」と戦います。ところが、この「ジョブ・トゥパキ」は、実は「アルファバース」の自分自身(=エヴリン)が、娘の「ジョイ」にプレッシャーをかけすぎた結果、生まれてしまった存在だと知るのです。
一方「ジョブ・トゥパキ」は、あらゆる並行宇宙に同時にアクセスできる能力を持ってしまったがゆえに、あらゆる人生(生き物ですらなく、ただの「石」になっているバージョンの「人生」も含めて)を同時に経験します。その結果、「結局すべては無意味で空虚だ」という感覚に行きつき、「ニヒリズム」に陥り、すべてを無に帰するブラックホールのようなもの、「エブリシング・ベーグル」を作り出します。
しかし、実は彼女の目的は宇宙を破壊することそのものではなく、「この空虚さともう向き合わなくて済むように、自分を消してしまうこと」でした。しかし同時に、別の解釈・意味づけを示してほしくて、この宇宙の「エヴリン」を探していたのです。
ネット時代の虚無感
この映画の監督コンビ「ダニエルズ」は、この「マルチバースのあらゆる場所に同時にアクセスできる状態」を、ネット社会のメタファーとして描いたと語っています。
確かに、世界中のあらゆる情報や価値観、「こうだったかもしれない私」「こうなりたい私」を想像させる画像やストーリーに、常にアクセスできる今の状態は、一種のマルチバースと言えるのかもしれません。
その中で、
「果たして今の自分という『バージョン』でよいのだろうか?」
という疑問や、膨大な情報に圧倒されて感じる虚無感は、多くの方にとって実感のある感覚ではないでしょうか。
そして、さまざまな統計が示し、多くの国が危機感を持って法整備を進めていることからわかるように、その影響を最も強く、しかもネガティブに受けやすいのは子どもや若者たちです。ネット上の「関係性」も簡単に極端な方向へ振れやすく、その中で深く傷ついている人もたくさんいます。
映画の中で「エヴリン」も、やがて「ジョブ・トゥパキ」と同じ能力を身につけ、同じような「虚無」の感覚に囚われます。そして周囲を敵視するようになり、「ジョブ・トゥパキ」の誘いに応じて、「エブリシング・ベーグル」の中に一緒に消えてしまおうとします。
そこで二人を引き留めるのが、「頼りない」と見なされてきた、元の世界の夫「ウェイモンド」です。
彼はただ一言、「優しくなろうよ(Be kind)!」と叫びます。
「選べるなら、人に優しくして、幸せになろう」と。
その瞬間、「エヴリン」は思い出します。自分が「頼りない」と感じていた夫は、いつも自分に優しく接し、「ふざけている」と思っていた行動も、実は場を明るくしようとして工夫していたのだということを。
そして彼女は「虚無」に消えることを拒み、この宇宙で生きることを選びます。
あらゆる可能性が外の世界に存在していて、この宇宙の人生がたとえ短くても、
「短いからこそ、あなたと一緒にいたい」
と娘の「ジョイ=ジョブ・トゥパキ」に伝えることで、宇宙の破壊は止まります。
あらゆる可能性があるからこそ「今・ここ」を選ぶ
ネットとAIの時代は、ともすると「頭の中」、つまり考えや情報処理ばかりが暴走しがちです。私自身も、その弊害を日々感じています。うつ状態とまではいかなくても、ずっと一人でPCに向かっていると、理由もなく感情が揺れたり、ふと落ち込んでしまったりすることがあります。
だからこそ今の時代は、意識して「本当に身近にいる人たち」とちゃんとコミュニケーションをとり、一緒に「過ごす」ことが大事なのだと、この映画を観て強く感じました。(実際には、ごった煮のように情報量が過大な映画なので、ほかにもたくさんのメッセージが詰め込まれているのですが…)
「今・ここ」を大事にし、お互いに「優しい」気持ちを向け合う。
以前は当たり前のようにできていたことが、今は意識しないと難しくなっているのかもしれません。
年末年始くらいは、スマホをそっと手放して、目の前の大事な人たちと「一緒にいること」に意識を向けて過ごしてみようかな、と思っています。
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