「自分とは何か」という問い(後半)

Spark Lab(スパークラボ)の稲場泰子です。


先週は「三寒四温」と書きましたが、今週の関東地方は本当に寒いです。

関東地方は寒い中節電に励んだ方が多かったのではないかと思います。


節電を呼びかけると、多くの方が協力し、乗り越えてしまう日本社会は

改めてすごいと思います。


さて今回は「自分とは何か」についての後半です。

前回に引き続き、平野啓一郎氏が提唱する「分人」の概念に照らして

ルミナ・スパークを考えてみたいと思います。


相反する「私」

ルミナ・スパークの結果では、

一見相反する「クオリティー」を両方持ち合わせているという

結果が出ることがあり、

「私は二重人格なんでしょうか?」と心配する方が良くいる、

ということを以前書きました。(記事はこちら


この「二重人格」という考え方は

「自分は常に一貫した性格を持った、

分けられない『個人』である」という概念から発しています。


なので、「一貫していない自分は『良くない』」という考え方になります。


私達は多くの場合

「自分が何をしたいのか、どういう人間か考えなさい」と教育され、

「自分らしさ」を如何に発揮するかに腐心しています。


平野氏は、その取り組みが苦しく思っている人が多く、

苦しさの根源は「個人」という単位で自分を捉えるからではないか、と論じています。


分けられない「個人」という単位ではなく、

分けられる「分人」という単位で考えれば、

もう少し柔軟に生きられるし、

そもそも人が他者と接する実体に合っているのではないか、と。

    出典:『私とは何か 「個人」から「分人」へ』 平野啓一郎 (講談社現代新書)


『たった一つの「本当の自分」など存在しない。
裏返して言うならば、対人関係毎に見せる複数の顔が、
全て「本当の自分」である。』


『分人とは、相手との反復的なコミュニケーションを通じて、
自分の中に形成されてゆく、パターンとしての人格である。』

とあります。


この考えたに一旦依ってルミナ・スパークの結果を考えてみると、

一見矛盾した性質も、接する相手によって違う「分人」がある、と解釈できます。


「二重人格」ではなく、

そういうバリエーションの「分人」があり、

どちらも自分の一部、ということです。


アメリカ向けの「私」と日本向けの「私」

私は幼少期をアメリカで育ち、どっぷり現地化していました。


日本に帰ってきて苦労しましたが、

日本の社会向けの「分人」を形成し、

特に自分を「偽る」わけではなく、

馴染むことができました。


この日本向けの「分人」の性質として、

他の人の意見を聞いてから間を取ろうとする、

というものがあります。


一方、20代になり、アメリカに留学し、

外資系の企業で働き始めたら、

すっかりアメリカの「分人」が復活しました。


相手が言ったことに賛成でも反対でも、

とにかく自分の意見を言う、というのがこの「分人」です。


ルミナ・スパークの中では

この両方の性質がデータとしてしっかり出ます。

しかし、「どちらの自分が本当の自分か?」といわれると、答えられません。

どちらも自分だからです。


「分人主義」にたてば、そういう「分人」の集まりが「自分」であり、単に相手や環境によって

その「分人」が占める割合が変わるのです。自分として非常に腑に落ちる考え方です。


「行きすぎた自分」はなぜ発生する?

ルミナ・スパークの結果では「行き過ぎた」時の自分」というデータも出ます。

これは、強みであるはずの性質が、

自分や周囲にとって良くない形で出現するという概念です。


例えば「受容力」という性質は、

効果的に発揮出来ているときは

「調和のために努力し、対立が生じた時は自分の考えを変えることも厭わない」

という状態ですが、


「行き過ぎた」状態になると

「ノーと言えない」

という性質になってしまいます。


ルミナ・スパークでは、「行き過ぎる」原因を、

自分の中のストレスや外界に対する

「解釈」の掛け違いを原因と考えています。


しかし、「分人主義」の考え方も取り入れると、

もう一つ「相手のせい」とう考え方も出来ます。


「分人化は、相手との相互作用の中で自然に生じる現象だ。
従って、虫の好かない人といると、イヤな自分になってしまうことだってある。」


「分人が他者との相互作用によって生じる人格である以上、
ネガティヴな分人は、半分は相手のせいである。」


あの人と話すとどうも意地悪を言ってしまう、

という経験は誰にでもあると思いますが、

その感覚に似ています。


ではどうするか?

こうも書かれています。


「無責任に聞こえるかもしれないが、
裏返せば、ポジティヴな分人もまた、他者のお陰なのである。
そう思えば、相手への感謝の気持ちや謙虚さも芽生える。」


行きすぎた自分も、効果的な自分も、半分自分、半分の相手のせいである。

そう思うと、自分の扱い方も少し変わる気がします。


選べない人間関係もありますが、もし選べるのであれば、

自分に取って心地良い「分人」の割合を多くするようにすることで、

より快適に生きられる、ということだと思います。


もう少し言うと、

「誰とどのくらいのエネルギーを使って接するか」が大事ということ。


「自分の個性や性格を変えないといけない」と思うより、

ずいぶん気持ちが楽になります。


最後に「愛」について書かれたこの文章がとても染みたので、

締め括りとさせて頂きたいと思います。


「愛とは、『その人といるときの自分の分人が好き』という状態のことである。
つまり、<中略>他者を経由した自己肯定の状態である。」


自分の好きな「分人」、どう増やしますか?

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