「カイゼン」思考の落とし穴:自己肯定感への影響
Spark Lab(スパークラボ)の稲場泰子です。
「自分のことは好きですか?」
この質問に「大好き!」と即座に答える大人を、私は数人しか知りません。
ほとんどの方は「あまり好きじゃない」と答えるのではないでしょうか?
でも、どうして自分のことが好きな人が少ないのでしょうか?
「自分が好き」ということとは少し違いますが、
今日は「自己肯定感」について考えたいと思います。
自己肯定感
自己肯定感は、実用日本語表現辞典によると、以下のように定義されます。
「自分のあり方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する語。 自己否定の感情と対をなす感情とされる。」
(出典 実用日本語表現辞典)
日本の子供は調査比較した他国よりも自己肯定感が低い、というデータが
一時話題になりました。(文部科学省)
「私は人並みの能力がある」という回答が極端に低いことがわかります。
無論、これは自動的に「自己肯定感が低い」という結論とは断言できず、
文部科学省の資料で、有識者の意見として以下のように書かれていました。
「① 有識者ヒアリングにおいて、日本の自己肯定感が低いことについては、他者との比較の上で回答している可能性もあり、自分の状況を客観視できていることの表れであるとも考えられることから、必ずしも否定的にとらえる必要はないという意見もあった。」
「他の人を見て、もっと頑張ろうと思うから自分の能力を低くつけている」、
つまり「謙虚だ」ということだと思います。
このこと自体は学校で言われていることや、
常に「カイゼン」を目指す気風から納得感があります。
ただ、社会人の皆様にコーチングやワークショップをしている実感値からすると、
大人も全般的に謙虚さのレベルを超えて自己肯定感が低いと感じます。
時として悲しくなるほどです。
「足りないこと」を補う?
自己肯定感を必要以上に下げている要因の一つが、
「自分にない事、出来ないことに注目し過ぎる」という点だと思います。
成長しようとすることはとても大事です。
しかし、果たして
「他人や外部基準と比べて『足りない』ことを補うこと」=「成長」
なのでしょうか?
ここが教育現場や組織で「=」でつなげられていることが多いことが
大きな落とし穴だと思います。
出来ないことが出来るようになると嬉しいことは間違いありません。
先日、NHKの「チコちゃんに叱られる」で、
鉄棒の逆上がりを学校で教える理由として
「すぐに出来ないことが出来るようになることで
自己肯定感を上げる体験をさせてあげるため」
という趣旨の説明があり、目からウロコが落ちました。
しかし、この「逆上がり理論」を
全てに当てはめようとしてしまうと苦しくなります。
更に、努力せずにすぐに逆上がりが出来た人は、学びがないのでしょうか?
「最初から逆上がりが出来てすごいね」と
褒められることはあまりなかった記憶があります。
元々持っているものを磨いて成長する
足りないものを補うのと同じ、あるいはそれ以上に大事なのは、
「元々出来る事、得意なことをもっと上手に出来るようにする」ことだと思います。
人には生まれもった個性や特色があります。
その個性や特色こそが「強み」で、
皆違うことでお互いに協力し合う意味があります。
ルミナ・スパークは元々持っている「強み」を
自分でしっかり認識し、大事にして頂きたい、
という思いで作られています。
自分の苦手なことに取り組むより、
得意なことを上手く出来るようにするほうが、
エネルギー効率も良く、成果が上がり、
周囲により大きな影響を与えられ、
自分が好きになり、「自己肯定感」が上がるからです。
雀(スズメ)に大陸間を渡ることを訓練しても意味がありません。
鷲(ワシ)に毎日卵を生み続けるよう飼い慣らそうとしても意味がありません。
それぞれに「らしさ」があり、その中で強みを磨いたものこそ輝くのです。
私の大好きな漫画『ゴールデンカムイ』に
いつも書かれているアイヌの言葉で今回は締めさせて頂きます。
カント オㇿワ ヤク サㇰ ノ アランケㇷ゚ シネㇷ゚ カ イサㇺ
(天から役目なしに降ろされた物はひとつもない)
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